2015年04月14日

 P341 最後から4行目

やはり、身体の死と別れが知覚され、その人間関係は、理想の長さに切り上げられることになります。(邦訳)


it is still perceived that death of the body or splitting up and moving on cuts the relationship short of the ideal.


死別、あるいは普通の離別によって、人間関係は理想には及ばないものになってしまうということが、やはり知覚されます。


(コメント)

文脈からすると、どんな理想的な関係もやがて死がわかつ、ということなので、理想の長さに切り上げられるというより、理想には及ばない、というネガティブな意味合いでしょう。


 P347 4行目

心を見つめることと膨大な思いを手放したいと思うことで、唯一注意しなくてはならないことは、それが意識にある神聖な光に蓋をしてしまうということです。(邦訳)


The only reason to be so attentive and alert in mind watching and to want to release erroneous thoughts is that they cover over the Divine Light in awareness.


細心の注意を払って心を見つめ、過った思いを手放したいと思う唯一の理由は、その過った思いが意識にある神聖な光に蓋をしてしまうからです。


(コメント)
erroneous をenormous と誤認。to want to ~はreason にかかります。神聖な光に蓋をするのはthey = erroneous thoughts です。



 P347 7行目


心を高次の力に合わせているとき、人間関係において、神とつながっている確かな感覚がありますか。わたしは、神の目的と人間関係を同一視できません。それに、高次の力や人間関係が本当に何を意味するのか、わかっていません。(邦訳)


As the mind is riveted on a Higher Purpose is there a certainty of Union with God in relationship? I haven't equated Purpose with relationship and I think I don't know what Higher Purpose and relationship really mean.

(コメント)

「高次の目的」が、「高次の力」へと誤訳されています。


 P347 終わりから3行目


真の自己と神を否定しているからです。でも、あなたは、真の自己と神だけを理解できる存在なのです。(邦訳)


for it has denied its Self and God, and its Self and God can only be known. 


真の自己と神を否定しているからです。否定がなければ、真の自己と神はただ知り得るものになります。(試訳)


(コメント)

試訳では、「否定がなければ」と追加しました。直後の文章に「障害物や壁を取り除くことが、わたしたちの課題です」とあるので、それらの障害や壁≒真の自己と神の否定、がなければ、明晰さは瞬間的に気づかれる≒真の自己と神はただ知られる、と推測できるからです。


 P352 5行目


でも、欺かれた心は、それ自体が些細なものです。なぜなら、それは実在しておらず、現在に存在する本当のあなたではないからです。(邦訳)


Yet the deceived mind is itself trivial stuff, for it is not real and it is not Who You are, the I Am Presence.


でも、欺かれた心は、それ自体が些細なものです。なぜなら、それは実在しておらず、真実のあなたではない、現在性そのものとしての私、ではないからです。(試訳)


(コメント)

邦訳に誤りがあるわけではありません。ただ、I AM PRESENCE が「現在に存在する」と訳され、軽い形容詞扱いされていますが、the I AM PRESENCE こそ、この章の核心を表す言葉だと、思うのです。ただ、その核心性に見合った適切な訳を思いつかないのですが、その背景を下記に詳述します。


PRESENCE とは、存在すること、ですが、形容詞のpresent が「現在」という意味をもつことからわかるように、PRESENCE は現在性も含みます。ならば「現在に存在する」という邦訳で問題ないじゃないか、となるのですが、重要なのはそれが、I AM とつながっているということです。つまり、


I AM PRESENCE = 私は、存在そのものであり、かつ現在そのもの、「今」そのものである。

ということなのです。私は、存在する、ということ。私は現在である。私は「今」である。更に言い換えれば、存在イコール私である、現在イコール私である、「今」イコール私である。


・・・伝わっているでしょうか。ここでいう「私」とは、分離した具体的個人としての私ではなく、抽象的なものになっています。一体性、永遠性、不滅性、遍満性としての私、抽象性としての私です。具体的な断片(健康な肉体や病気の肉体、想念やセルフイメージ、個々人の性格や思考・感情傾向、地位や資格や所有物、美醜など)に同化している私は、対象化することのできる、欺かれた心です。しかし、抽象性としての私は、対象化することができません。対象化できないのに、「私」として自覚できる。最大の錯誤は、この対象化できないがゆえに、空間の一部に限定され得ないはずの「私」が、肉体に内蔵され、肉体内部に限定して存在している、という知覚です。この知覚こそ最大の錯覚です。これが非二元性の洞察です。


コースの純粋非二元性はこの先、延長・共有・親交を確かにしつつ、宇宙の消失、神への回帰へと続きますが、このゴールとしての覚醒は、最初からいまここにあったものです。実在したことのなかった夢が必要とされなくなるまで、この覚醒は見かけ上、明晰さを高めていきますが、それは夢見る者、夢を夢として自覚しつつ生きる者のプロセスであり、分離した個人として生きた人生とは異質なものです。そういう意味で覚醒はゴールでありながら、新しいスタートでもあります。


このP352 7行目から始まって、デヴィッドさんはこれ以降章の終わりまでどんどんたたみかけていきます。「友人」はデヴィッドさんの話についていくのに必死ですが、まさにここでは「救済の即時性」が語られているエキサイティングな章なのです。


 P355 5行目

膨大な信念はスピリットでもなければ、(邦訳)


An erroneous belief is not Spirit,


誤っている信念はスピリットでもなければ、(試訳)


(コメント)

erroneous をenormous と誤認。


 P356 9行目


本当の" わたし "だけが実在の思いを考えることができ、その他の者は皆、見せ掛け人の出身ですね。どちらの" わたし "が本当のわたしなのかは、今正しく思えているかどうかでわかります。それがあなたのおっしゃっていることですか。(邦訳)


Only the real “I” can think real thoughts, and everything else was from a make-believe I. And I can tell which I is the real I by how I feel right Now. Is that what you're saying?


本当の” わたし ”だけが実在の思いを考えることができ、その他のものはすべて、見せかけの” わたし "
から来ています。そして、どちらの” わたし ”が本当の” わたし "かは、まさにこの瞬間、どう感じているかで判別できる、そういうことでよろしいですか?(試訳)


(コメント)

make-believe I は、見せ掛け「人」ではなく、見せかけの" わたし ” です。「わたし」を軸に対比している文章なので、ここは「わたし」と訳すべきところです。次のセンテンスは、本当のわたしと、エゴ・誤った自己概念としてのわたし、そのふたつの判別法について述べています。判別に際して、今この瞬間どう「感じているか」、今現在のフィーリングが目印であると言っています。


奇跡講座テキスト T-4.IV.8.6 において、 この判別法としてのフィーリング(翻訳では「気持ち」と訳されている)に言及があります。フィーリングを毎瞬、察知し、自覚することは、自分がエゴにとらわれてしまっているかどうかの、最もわかりやすい指標なので、コースの実践において最重要項目と言ってもいいと思います。


 P361 12行目

真の自己を見失った自己、というところへ戻りました。本当に存在を見失い始めると、小さな自分も消えていきます。(邦訳)


 So it comes back to self being lost in Self, I being lost in Being. Indeed, that's the way it goes, that's the way the little self disappears.


これで、真の自己のなかで消え行く個としての自己、存在そのもののなかへと消え行く個としての「私」の話へと戻ってきます。まさにこれが個の宿命、個我の消滅する成り行きなのです。(試訳)

(コメント)

邦訳はここでの lost の意味を取り違えています。試訳は、若干、意訳を施しています。


evolievoli at 01:08│A